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すっとこどっこい

あることないこと

オタクなるもの

どうやら、私にとって“オタク”というのは恥ずかしいものだという認識があるらしい。

 

今年のはじめ、大失恋をしてメソメソしていた私は「新しい趣味をみつけろ」ということで女性向けのブラウザゲームを始めた。
それにまあ、ハマった。
このような素敵なコンテンツにめぐり合わせてくれた失恋先の男にはこの点では感謝してる。
脛めっちゃぶつけろ。

以前私が素敵だと思ったコンテンツはその時既にピークを過ぎていたし、私は中学生か高校生で自由に使える時間もお金も少なかった。
大学生で、一番旬なコンテンツ。
そりゃあもう、天国ですよ。
しかし、友人や家族にいうのは随分はばかられた。
なんだかとっても「恥ずかしい」のだ。
それは他人に対しても同じで、グッズをひとつ買うのにも酷い勇気が要った。
コンビニでくじをひいたときなんて、万引きを告白しにきたみたいな顔をしていたと思う。

最近は少しずつ周囲に言うようになってきた。
しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。
若い女がハマっている姿を特集されている番組を見てしまった時なんて酷かった。
もう、なんか、めちゃくちゃに恥ずかしい。
みっともない、と思ってしまうのだ。
博物館で「××様~」とか言っている人と同じだと思われたくないのだ。
周囲から見たら同じ穴の貉であることはわかっているけれど。
ところで私は刀、あっ、言っちゃった、いいや、
刀に対して昔から並々ならぬ情熱を抱いていたようである。
自宅に日本刀があるのが大きいと思う。
先日部屋を掃除していたら、若かりし頃の黒歴史ノートがでてきた。
日本刀で斬られたいという、わかるようなわからないような願望が綴られていた。
危ない中学生である。
もっと前、小学生くらいだろうか、の時には
ひな人形のお内裏様が持っている刀をこねくりまわして壊した。
鞘におさまらなくなってしまったのだ。
母親にえらく怒られた。
今は、誕生日プレゼントに刀の食玩をもらってキャッキャする娘を見てため息をついている。

 

さて、ここまで読んだみなさまはおわかりいただけただろうか。
「私はあの、テレビで特集されちゃうような恥ずかしい“にわかオタク”とは違うのだ」と必死でアピールしているのだ。
さっさと同類であることを認めればいいのに。
それもこれも、恥ずかしいからなのだ。

歴女、と呼ばれるのも凄い嫌だった。
武将の墓前に立ってワァワァ泣いている女を見るとぞわぞわした。
違うのだ。私はあんなやつらとは違うのだ。
と言いながら、宿泊先から2時間かけた山の中腹にあるとある墓へひとりでむかったのは私である。
書きながら気づいた。
私にとってオタク活動というものは、ひとりで楽しむものなのだ。
「ネットに接続しないとできないゲームって何だ。
ゲームはひとりでやるものだろう」との発言でバイト先をドン引きさせた女なのだ、私は。
もちろん昔からオタク友達などいなかった。
ネットで同志を探すこともなかった。
だからきっと、私にとってオタク的なものというのは“隠すべき恥ずかしいもの”なのだ。

 

 

最近はずいぶん開き直ってきて、
居間で炬燵にあたりながらガンプラを作っていたりする。
そういやプラモデルをつくり始めたのも失恋の影響である。
なんだかずいぶん人生に影響を及ぼした失恋だなぁ。
定期忘れたことに駅で気づいて遅刻しろ。
あの時見捨てず「趣味を探せ」「頑張って立ち直れ」と言ってくれた友人たちがいたからこそ、
こうやって楽しくオタクをしているわけです。
あんまり人には言いませんけどね。
これからも私は少しずつ衰退するジャンルを愛し続けることでしょう。
もしかしたらもっと魅力的なものを見つけるかもしれません。
多分またそれも恥ずかしいから隠すんでしょうけど。

恥、というのは生きているからこそ味わえるものなのです。
……なんて大仰なまとめ方なのだ。